わたしたちのまち

向ヶ丘遊園

未来へとのびしろのある街、向ヶ丘遊園。 未来へとのびしろのある街、向ヶ丘遊園。

名前の由来は「花と緑の遊園地」として親しまれた同名の遊園地から。2002年に閉園し、長らく跡地となっていましたが、2023年に向けた大規模な再開発も発表され、大きく変貌する期待の高まる街です。生田緑地に代表されるように自然も多く、駅から少し歩くだけでも、川や緑に触れることができます。駅の発着メロディーは「ドラえもんのうた」と「はじめてのチュウ」で「藤子・F・不二雄ミュージアム」「岡本太郎美術館」「日本民家園」といった文化施設も数多く、のどかながら、ポテンシャルのある街です。

営業担当

佐久間 洋之

ノスタルジックな想いを 呼び起こす大階段。

向ヶ丘遊園は、その名の通り、昔ここにあった遊園地。小田急電鉄が2002年まで営業しており、駅から遊園地までをつなぐモノレールも整備されていました。閉園後は、市民の要望で大階段とバラ園だけ残っており、いまは無きモノレールの跡地は自転車置き場に。また、ちょうど、向ヶ丘遊園駅から「藤子・F・不二雄ミュージアム」までの道のりは、モノレールの廃線跡とも重なっています。多種多様なバラが植わった五ヶ村堀緑地の遊歩道には、藤子・F・不二雄先生のキャラクターのほか、モノレールの痕跡がわずかに残っています。向ヶ丘遊園の大階段は「藤子・F・不二雄ミュージアム」に隣接した土地にあるのですが、高い仕切りがあり、中を見るのは難しく‥。それでも遠目で見えるその姿に、昔の思い出が蘇ります。小学校6年生のときに、同級生の女の子と、向ヶ丘遊園で初デートをしたあの頃。駅を出て、モノレールに乗って遊園地へ向かい、入り口にある大階段隣のエスカレーターに乗り、その先にあるスケート場へと進んでいく。その光景をもう見ることはできませんが、あの頃の高鳴る気持ちに懐かしく思いを馳せられる、私にとって思い出の場所です。 学生時代は下北沢に通っていました。多摩区での不動産営業歴は10年目で、周辺環境はかなり詳しいです!

川崎市多摩区長尾2丁目のあたり[向ヶ丘遊園跡地]

営業担当

沖 礼吾

都会にぽっかり現れた のどかな体験型農園。

向ヶ丘遊園駅から徒歩20分程度、広大な生田緑地に隣接する「トカイナカヴィレッジ」は、貸し農園(生産緑地)や宿泊、レストランなどが入った体験施設。1年ほど前に食事をしに行った際には、住宅地を上がってすぐに、こんな場所が!とびっくりしました。中央部には貸し農園があり、本格的な野菜づくりが楽しめます。立て看板を見ると、野菜の名前や顔のイラストが描かれており、その手作り感が遊園っぽいなあ、となんだか愛しく感じます。畑の野菜は、農家めしとして味わえるほか、ハンドメイドの石窯ではピザが焼かれていたり、焚き火で焼き芋を作っていたり‥、街の中にあるとは思えないほど、自然をたのしみ尽くせます。入り口付近にあるツリーハウスも、おしゃれながら、クラフト感があるのがあったかい。訪問したときには、手づくり七味をつくるワークショップが実施されていました。ボランティアの方々との距離も近く、一日中のどかに過ごせて子供連れにはもってこいですね。ちなみに、コロナが落ち着いていたら、店舗の懇親会をここで開催したいと、うちの店長が話してます! 出身は町田で、幼少から小田急線ユーザー。バイト代を町田の古着屋に費やし、ラーメンに通った青春でした。

川崎市多摩区東生田4-1-6[トカイナカヴィレッジ]
https://tokainaka.farm/

この街、向ヶ丘遊園の
「ここしか」ポイント。

老いも若きも長く暮らせる、
居心地のよい街。

緑地が多いため、地主として長らく住んできた年配の方が多い一方で、専修大学と明治大学があるため、大学生も多いのが特徴です。若い層と年配層が混在しているのは、どちらにとっても居心地が良く、利便性の高い街だから。小田急線と南武線が通り、新宿まで30分以内という交通の便の良さ。また、病院やチェーン店も多く、生活の基盤が揃うため住みやすく、安心感もあります。なんといっても、少し歩けば生田緑地が広がり、登戸の方まで足を伸ばせば多摩川もあるという、程よい田舎感が心地いい。定住率も高く、賃貸で住んでいた人が購入を決めたり、ファミリー層も多く暮らしており、暮らしやすさには定評がある街です。また、最近北側の再開発が終わるとともに、向ヶ丘遊園跡地の再開発も始まろうとしています。2023年に完成予定で、温泉や商業施設ができるそう。向ヶ丘遊園が数年後にはどんな街になるのか、その変化を店舗メンバーも楽しみにしています。

向ヶ丘遊園 基本データ

人口総数
27,594人
1日平均駅乗降人員(向ヶ丘遊園駅)
41,442人

*人口総数、乗降人員は2020年度のデータです。